武士の食文化一日二食、玄米食が基本武士の主食は玄米で、朝飯、夕飯に二合五勺食する。
白米ではなく、赤米(大唐米)や黒米であった。
赤米や黒米は、奈良時代から戦国時代にかけて主食とされた米で、
「そのままではとても食べられない」といわれるほど味に難点がある。
また文献上でも、「殆んど下咽に堪へず。蓋し稲米の最悪の者なり」などと記述されている。
我々が日々食している白米は、公家や大名などの口にしか入らない超高級品であり、
中・下級武士の食卓に登場するようなことは無かった。
しかし百姓などは、その赤米、黒米すらめったに食べることはできなかった。
伊達政宗の食事の心構え仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂(へつらい)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。
気ながく心穏やかにしてよろず倹約を用い金を備うべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事はうまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(いとま)申するがよし。
「伊達政宗五常訓」
「毎日食べる食事は、粗末であっても、おいしくなくても、感謝の気持ちを持って、
ありがたくいただくべきである。
この世にお客さんとして来ているのだから、そもそも文句など言えるはずがない。」
伊達政宗が遺訓として遺している言葉である。
伊達 政宗(だて まさむね)
出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
伊達氏第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。
幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。
堺一文字光秀時代に応じて鉄器、刀剣、鉄砲、包丁をつくり続けた堺。
その精髄を世に送り出し料理文化の一翼を支える鉄鍛治。
将軍本膳個装サイズ:64×53×30.5cm
素材・材質:ABS樹脂仕様
食器洗浄器:使用不可
製造国:日本
本膳とは、本膳料理の事。
日本料理の正式の膳立てで、普通は「一の膳」から「三の膳」まである。
正式なマナーとしては、
○和え物と煮物に続けて箸をつけない。
○菜と汁をいっしょに食べない。
○迷い箸をしない。
○おかわりの時は飯碗を受け取ったら、必ず一度膳に置く。
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戦国城下町戦国虎太郎が戦国の地に建造させた巨大城下町。