クリックするとランキングに反映される仕組みでありますm(_ _*)m歴史 ブログランキングへ(ミネルヴァ日本評伝選) 小和田 哲男 (著)
今川義元は、馬にも乗れなかったかのような言われ方をして、軟弱武将というレッテルが張られてしまっている。
しかし実際の義元は、検地をはじめ戦国武将の領国経営のモデルとなる施策を先駆的に進めた武将であった。
「海道一の弓取り」が築いた、卓越した領国経営と黄金文化。
今川義元(1519~60)戦国大名。駿河・遠江・三河三カ国を支配したが、桶狭間で織田信長により討たれる。
義元は、馬にも乗れなかったかのような言われ方をして、軟弱武将というレッテルが貼られてしまっている。
しかし実際の義元は、検地をはじめ戦国武将の領国経営のモデルとなる施策を先駆的に進めた武将であった。
〇自分の力量を以て国の法度を申付く:義元が制定した分国法「今川仮名目録追加」第二十条より。
戦国大名としての自信がうかがわれる(本書206頁参照)。
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