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猛き黄金の国 斎藤道三

 【27//2014】

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猛き黄金の国 斎藤道三 1

京の妙覚寺の僧であった法蓮坊は還俗して松浪庄五郎と名乗り油屋「奈良屋」の娘を人攫いから救い、娘と結婚するまでにこぎつけ、そしてその娘の油屋で稼ぐようになり山崎八満宮の油座を脅かす存在へと成長したため、焼き討ちに遭い、油屋を失うことになるが、その後、山崎八満宮に異議申し立てを行った結果、庄五郎は奈良屋の朱印状を返納する代わりに山崎屋の朱印状を近江商人「粟津屋」の主人から油屋(奈良屋)を前の主人から譲り受け、新しい屋号「山崎屋」として出発することになる。

庄五郎は油の行商を名目に日本各地を転々とし、各地の実情を調べ、美濃国をその野心の標的とした。
妙覚寺の同門で美濃の常在寺の住職となった南陽坊(日運)を通じ、その兄である長井利隆の知遇を得て美濃守護土岐頼芸に仕えるようになり、以降は「西村勘九郎」、「長井新九郎利政」などの名をもらい、最後に斎藤道三と名乗った。
頼芸は道三の企みで公家の血を引く娘に色仕掛けを掛けられ、果てには尾張に追いやられた。
そして隣国・尾張の織田信秀の干渉もはねのけ、美濃国は道三の楽市・楽座政策により繁栄していく。

ようやく美濃国を手中に収めた道三であるが、それを足がかりに天下を狙うには既に老いていた(皮肉な事に、道三の面前でそれを指摘した取るに足らない小者は、後の豊臣秀吉であった)。
そして道三は、信秀の息子で自分の婿である織田信長の才を認め、自らの野心を託す事を決意する。
道三は信長に対して、楽市楽座などの内政のノウハウや、岐阜城の図面を渡した、信長は城の図面の件は不可解に思いながらも、内政のノウハウに感嘆し、道三を天才と評した。

道三の嫡男である斎藤義龍は、土岐頼芸から譲り受けた女に産ませた子であり、頼芸を彷彿とさせる画才があり、周囲から実は頼芸の胤ではないかと噂されていた。
本人はそれを頑なに否定し道三の息子であると信じようとしたが、道三は義龍は頼芸の子であると、あえて本人に告げる。
こうして義龍は道三に叛乱を起こし、美濃国の者のほとんどが義龍に従った。
道三はあえて義龍に自らを討たせるつもりでいたが、家臣の名波十道が自ら進んで身代わりとなった討たれた。

道三の思惑通り、信長は美濃国を手中に納め、そして天下取りに向かって邁進する。
上洛に向かう信長の軍勢を前に、道中の民衆は皆平伏していたが、ただひとり立ったままで見送る老人がいた。
信長はその老人に気づくと、妻・お濃を呼び寄せ、自らその老人の前に平伏した。
その老人は山崎屋を守ってきた妻の元に帰っていた道三であった。

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